いま「午前十時の映画祭15」でリバイバル公開中の「時計じかけのオレンジ」のことを書いておきます。あと一週間なので。
あわせて視聴可能な「2001年宇宙の旅」については、基本「こういう映画は大スクリーンで観るべきなので、ぜひ足を運んで4K版を観なさい」しかあまり言う気はないのですが。
多くはXなどのSNSですでに書いたことなのですが、まあいまのXには過去記事を取り出して読ませたいようなアーカイブ機能なんてすでにないに等しいので…。
いうまでもなく「僕はとても大好きな映画」のひとつです。
なぜ「スクリーンで観るべき」なのか
「2001年宇宙の旅」については明確に「これは自宅の小さいモニタで観るよりは大スクリーンで4K版を観るべき映画ですので」と言える作品なのですが、しょうじき「時計じかけのオレンジ」については、大スクリーンで観るべきというほどの映像や音響ではなく、配信を自宅PCで観てもぜんぜん構わないと思ってます。
それでも映画館で観るべき理由は、このくらいかな。
- とてもショッキングで刺激的な映像もあります
- 観た後でいろいろ考えさせられる内容の話でもあります
- 自宅配信だと、何かの理由で「一時停止して続きはまた後で」とやりたくなるかもしれませんが、それだと意図通りに楽しみにくいのでは。早送り論外。
まあ最後の理由が一番大きいです。よろしければ未見の皆さまも是非この機会に。
ぼくは未見のひとには「観なさい」としか言う気はないので、ここから先は「観たひと前提」の話です。ネタバレがいやな人はここでさようなら。
いろいろな見方ができる作品
この映画「時計じかけのオレンジ」は、とてもひねくれた…もとい、色々な視点をいろいろな登場人物を通してむき出しの形で提示しているので「この考え方が正解」だという唯一の解釈はあまり成立しませんし、そう断言する評論家が居たらまあウソでしょう。
そんなわけで、過去の自分の感想も含めて、とりとめもなく。
自分で善悪を判断できるからこそ「人間」
この映画の「タイトル」がストレートに示している内容で、いちばん正統的であろう見方であり、人権派に受け入れられやすい要素でもあり、何よりも一番「この作品を楽しんでいる自分にいいわけをしやすい」視点です。
作中では刑務所の「牧師」の立場。アレックスの「洗脳成功」デモの際に「大声でChoice!(選択)」と異議を唱えるシーンが印象的です。
まあ、ここからその映画は、色々とダメな方向に突っ走ったうえで「やっぱり洗脳って良くなかったよね」というラストになるのはある意味で「人権派の勝利」と言えなくもないんですけど、でもあのラストを見れば誰しも「ちょっと待てや!本当にええんかコレで!?」になるのは皆さまご存じの通りです。本当にこの映画はひねくれてます。そこがイイんですけどね。
なお僕らの汚れた現実の世界やそれを題材にしたフィクションでは、しばしばこういう綺麗ごとを言う聖職者が私的に少年少女を性愛の対象にしていたりする偽善者であるのもぜんぜん珍しくないんですけど、一応この映画の牧師にはそういう醜い側面はなく単なる信仰の篤い善人だ、ということでひとつ。
全体主義って怖いよね
これも観ている自分にいいわけをしやすい要素。この映画のラストは「人権の勝利」である以上に「全体主義の勝利」であるわけなので。
作中では内務大臣の立場。犯罪者が多くて刑務所が一杯だという現在の「コストのかかる問題」を解決すべく「こまけぇことはいいんだわ。犯罪者の人権なんて知ったことではない。受刑者を洗脳することで治安を良くして犯罪者を減らせるのならそれは良いことでないか」という主張です。いまだと維新あたりが平気で主張して一部の方には喝采されそうな内容ですが、基本的には「個人の尊厳よりも全体主義を尊重する右派思想」は50年以上前から歴然と存在している通りの内容です。
この映画のラストは「まあちょっと洗脳したのは我々の失敗だったよね」という話ではあるわけですが、それでも内務大臣は失脚したわけでもなく「アレックス君の洗脳を解いたからもうコレでいいよね?」という悪魔を解放しただけの観た人が頭を抱える「ハッピーエンド」であるのはみなさまご存じの通りです。
ラストで「内務大臣がアレックスの食事を手伝っている」ときの会話が示しているこれからの全体主義の暗黒社会がどうなるかという想像を働かせればこれは戦慄のバッドエンドなわけですが、そんなことを考えなくてもラストのアレックスの洗脳が解けたときの表情を見れば誰でも「ヤバ過ぎだろ、これ…」と察することができるのがマルコム・マクダウェルの名演ぶりとしか言えませんが、本当にこの映画はひねくれてます。そこがイイんですけどね。
この点で僕は「この映画のラストは至高」だと思っているので、正直なところバージェスの原作の「21章問題」については「この章いらんだろ…」と思ってます。当時のノベライズでは読んでませんでしたしね。
悪の快感に酔いしれる
これは良識のある弱者の一市民としては、正面から主張しにくい部分なのですが…。
この映画を見て「日常的に弱者には容赦ない暴力を奮ったり、女性をレイプすることを楽しみとするなんて人間のクズそのもの。まったく不愉快な映像ばかりだったし我慢して最後まで観たけど何ですかそれを肯定してしまって終えるあのラストは」と酷評したがる人が出るのも何も不思議ではないと思うんで、僕はそういう方々をどうこういう気はないですし「浅い」とも思わないんです。仮に目の前にそういう感想の方が居たら、せいぜい「ごめん。あなたにこの映画を勧めたのが間違いでした。もうこの話はやめよう」で済ませたい所です。
そういうのは作中だと、アレックスの投獄中にアレックスの部屋を借りて両親ごと奪った「ジョー」のスタンスに近いんですが、正直なところ昔も今も「ジョーの言ってることは何ひとつ間違ってないよね」としか言えないんですよ…。ただまあ、どうもあの映画ではジョーもどこかに行ってしまった(官憲に逆らって塀の中に居るとかいうオチかな?)んですけどね…。
そういう嫌悪しか抱けなかった方はここで読むのを止めていただくとして、それはそれとして、あの弱者には容赦ない暴力を振るうだけのアレックスが現実の自分にはできないことをやってのける部分に、そこにシビレル憧れるゥ…までは行かないにしても快感を感じる、という感情がゼロだったかと言われれば、という話なんですよ。映画なんで。
特に自分がこの映画を最初に観たのは、大昔のリバイバルの時の男子中学生のときだったので、まー正直なところ冒頭からのアレックスにはしびれましたね。もちろん当時の現実の僕は、この映画を観ようが観まいが見知らぬ女性を集団でレイプするどころか、同級生の女子に声かけすらろくにできなかったシャイなオタク野郎でしたけど…。
まあ正直、この映画への肯定的な評として「スタイリッシュ」だのなんだのと言ってる方々の本音もこれと大差なく、言葉を飾っているだけだと僕は思いますけどね(増やさなくていい敵を増やすだけの発言)。
ちなみに当時の男子中学生の自分は、さすがにそういう感想はあまり出さずに理論武装したうえで劇場に10回以上は足を運びましたけどね…。上でもしきりに「いいわけ」と書いているのは、そういうことでもあり。
あるいはこのへんを表に出した「評論」をしたいなら「ええ、その通りです。だからそういうドス黒い暴力への渇望とか性欲とか醜い加虐心が自分にも存在するのを自分自身で直視して認めたうえで、それを実際の犯罪を起こす前に自制して克服して善き市民として生きるのが僕らのあるべき姿ですよっていうテーマの映画じゃないんでしょうか?」で済む話なんですけどね。
あと作中では、冒頭でアレックスに酷い目にあわされた「小説家」が、後半でアレックスに復讐をする機会が訪れるなり、明らかに加虐の快感に酔いしれた表情をしているのもこの映画のポイント。
まだまだ到底書き尽くせる話ではないのですが、ほんのちょっと書いただけでも、これだけの主要な論点が出てくるのがこの映画のポイント。
まあ、あとはポイントとして、この映画に登場するのはだいたい偽善者だっていうのも重要ですね。
小ネタなど
映画の骨格の部分についての話はこのくらいでいいかな…とも思ったのですが、以下、散発的に過去にSNSなどで書いたネタなどを再掲。
反乱鎮圧

細かすぎて通じないかもしれない良さのシーンその1。
アレックスがドルーグの反抗の目を鎮圧した後の会話で、ここで中立のピートが即座に同意しているのはいいとして、次に一番手ひどくやられた筈のディムが同意して、首謀者のジョージがなかなか同意にしなかったというあたりの関係性。
まあ、このあと即座に「ぜんぜん納得されてなかったじゃん! ピートも含めて秒で裏切られたじゃん!」になるんですけどね。
明日はもっと「健康」に



細かすぎて通じないかもしれない良さのシーンその2。
ルドヴィコ療法による洗脳治療中。「暴力やレイプはいけませんよ」という、普通のひとなら誰しも「せやな」と同意できる話のあとで、ノータイムで「ナチスもだめです」と言っちゃうこのスピード感。
いや…その…僕もその結論には同意できるんですけど…そのなんというか、雑、というか、もうちょっとその「思想の自由」とかへの配慮も少しは必要なのでは…。
当時のSFマガジンでの酷評レビュー
これ実物が家の中から発掘されたら是非現物を載せたいんですが、むかし読んだ公開時のSFマガジンで紹介されたときの「時計じかけのオレンジ」のレビューが、かなりの酷評だったんですよね…。
- 「2001年宇宙の旅」でフロント・プロジェクションを使ったキューブリックなのに、本作でドルーグが車を飛ばしてるシーンではバレバレのリア・プロジェクションを使っていて技術的な後退も明らか
- 話は原作通りすぎてつまらない

とかいう感じでした。まあ…正直なところ、映画のあとでバージェスの原作小説(21章なし)を読んでかなり同意できる部分もあったので、まああっちを先に読んでいたらこういう感想かもしれないなぁ、とは思いました。
確かに自分も映画のあとで原作を読んで「こんなところまで原作小説で描かれていたんだ!バージェスすげぇな!」と感じた部分はあったんですが「だから映画がつまらない」と感じたことはなかったんですけどね…。
実はまともに観てないのでは?な紹介
ぼくは昔から「SFムック」とかは割と買い漁っていたので「時計じかけのオレンジ」を他のSF映画と一緒に短く紹介したページとかは割と目を通していたのですが、その中にこういうのがありました。発掘されたら晒すんですが…。
「赤の使い方が印象的」とか1行だけ書いてあったどこぞの紹介だったんですが、正直、当時から意味がわからなかったんですけど、最近「もしかしてコレのことを言ってるのか?」と思ったヤツ。




このオープニングタイトル、正直なところ赤よりもそこから一瞬で切り替わる青の方が印象が強いので、これで「赤の使い方が印象的」とか書いちゃうのって正直「おまえさん、実はまったく映画を見ないで紹介する羽目になったね?」としか言えない話ではあるのです。
紹介する1枚写真でコレ使う?
確かこれ「映画宝庫」のSF映画特集号だったと思うんだけど(発掘されたら晒します)、「時計じかけのオレンジ」を他のSF映画と一緒に紹介したページで、一緒に使っていた小さな白黒写真がこのカットからでした。

いやまあ、僕はこのカットはこの映画の「世界観」を表す意味でチョイスするのも悪くないとは思うのですが、最初「アレックスってこんなツラだっけ?」と思ったこの映画はアレックスの映画だと思うんで「そっか…1枚だけ選べと言われてディムを選んだか…」と思ってしまったんですよね。

ちなみに最近、当時のキネマ旬報を取り寄せて、この映画の公開当時には「ディムの中の人が割と注目されていたんですね」というのをあとで知りました。

きりがないので、とりあえずこのくらいにしておきますが、ネタを思いついたら追加するかもしれません。
(おしまい)


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