だいたいレゼとユーベルのことしか言ってません。なかなか良かったです。劇場版のネタバレNGのひとはここでバイバイを推奨。
自分の原作へのポジ
2025年10月上旬の時点での、自分の原作「チェンソーマン」への理解度。
- アニメになったときに、最初のほうを少しだけ読みました
- アニメ(1期)は最初だけ見ました
- 従って、どういう設定の話かは知っていたけど、この先も最後も知りません
- レゼって誰ですか
映画館に足を運ぶ気になった理由
自分の観測範囲での「葬送のフリーレン」でランユベのカップリングまたはユーベル単体にはまっている人がこぞって「レゼいいよね!」とかXでつぶやきだしたこと。確かに紹介(劇場版の微バレあり)などを読むとユーベルの構成要素である
- あけすけなエロカワイイ女(でも中身はビッチでなく乙女かも…)
- やべー女
- 人殺しの目をしている
- 割と悲惨な過去を背負っているみたいだけど、気丈
あたりの条件は軽々とクリアしていたようでした(笑)。
鑑賞しました
というわけで劇場に足を運んで、観てきましたよ「チェンソーマン:レゼ篇」。
うん、とっても面白かったです。いいですねレゼ。
ただし自分にとっては、レゼはユーベルの地位を脅かす女ではなかった、という結論に達しました。安心したやら残念やら。
これは「作品」自体の評価とは別の話で、それも言語化できているので、以下、ちょっとだけ書いておくことにします。
好物カプの関係性
ランユベに限らず、僕が葬フリの公式カプを好意的に読んでいる大きな理由は、基本、互いに好意を抱いているのは割とあからさまなんだけどなかなかそれを直接示して四六時中べたべたしたりはしないという「もうつきあっちゃえよ!」状態の不器用なもどかしさを楽しむという要素も大きいです。まあ少年誌ですしね。
これはランユベのカプの場合も同じで、こいつら一応は「ラントの魔法をユーベルが欲しがっている」という口実でユーベルがラントに距離を詰めているのをラントは断りきれない、という態を装っておりユーベルもラントも互いに相手を「好き」だとは公言してません。
ラントは「コミュ障の引きこもり」という設定もいちおう残っている筈なので、過去の悲劇で閉ざしたラントの心をユーベルが強引にこじあけている、という側面もあります。
なのですが、ラントが断らないのを良いことにユーベルがどんどん距離を詰めていっているので今や傍目にはとんでもない距離感になっているわ、ゼーリエ様には相性が良いと認定されるわ手綱扱いされるわホテルの一室でネコミミプレイをやっているわ戦闘では完全に息の合ったバディだわで、もうそれはとんでもないことに。たのしい。
帝国編から1年くらいたって再登場したときにラントとユーベルが子供を作っていても驚きませんが、それでも「つきあっている」とは認めていない。そんな関係性。それが自分の大好物。
レゼとデンジの関係性
なのですが、本作レゼ篇の場合、レゼがぐいぐい光の速さで距離をつめてくるのはまあ自分の大好物だし夜のプールを全裸で泳ぐあたりは「うひょー」と思ったわけですし、これはもうその場でセックスだろとしか思えなかった心の汚れた大人であるわけですけど、それに対してのデンジ君の煮え切らなさというかがあんまり僕の好物ではないので「カップリング妄想」を育むには厳しめ。ていうかデンジ君は「好き」という感情は芽生え始めているけど、俺のいきりたったちんこをこの女のまんこに突っ込みたいという欲望自体がなさそうですよね。心は小学生。
まともな教育や他人からの扱いを受けていないまま育ったデンジ君の人間関係の構築の未熟さというのが「チェンソーマン」の重要なテーマであるらしいのはろくに原作を読んでない僕でも察しがつくので、これはそれを批判しているわけではまったくありません。ただ「そういう話ですね」というだけのこと。
まあ実際には、この後日に花火大会でちゅーをするなり殺し合いに入るわけですし、それから色々あって「この女もデンジの心臓目当てで近づいてきただけで別に好意を抱いていたわけではないのだ」「いや決してそうではなくレゼも(妄想が捗る部分)」という余韻を残してあのエンドになるわけで、これはこれでとても涙ぐめるイイ話なんですけどね。
今後のカップリングのいちゃらぶ妄想を続けるには厳しいなというだけの話です。「来なかった幸せな2人の未来」とかの2次単体作品を妄想するぶんにはとても良いのですが、自分はそれをメインに続ける気はあんまりないかなという話でもあり。
とても良い話でした。映画館に行って良かったと心から思います。
(おしまい)

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