マーズ・マーケティング・カンパニーの話~「連邦」オフ会

2025/11/08の「連邦」オフ会で、クーロン黒沢氏・ミスターPBX氏と話した内容のメモ書き

ほぼ全部コピーショップ「マーズ・マーケティング・カンパニー(マーズ)」の思い出話になります。

クーロン黒沢氏の名著「さわやかインターネット」(1995)にだいたい書いてある内容なのですが、今はあの本自体が入手困難なので。
電書で出てくれればいいのに…。

この「マーズ」というのは火星(Mars)という意味ではなく、台湾人の首謀者店長の馬宝慶(マー・ホウケイ)のMa’sから取っています。

自分のうろ覚えベースなので、正確な日時などがあとから分かったら修正します。

 

当時の自分の立場

当時の自分は、当時に秋葉原の大橋ビルの2Fにあった「オーク・ビレッジ(オーク)」という、おもにAppleIIやAmiga用の輸入ゲームソフト(のちMacintoshやIBM-PC用も)を販売していたショップに週に何度か出入りしていた大学生です。

現在の大橋ビルの入口。「ゴーゴーカレー」の店舗(黄色い看板)が右にあるのが今は目印です。今は当時よりかなり変なテナントも多くて張り紙も多くて、だいぶカオスな雰囲気です。

自分はバイトでレジに立つことなどはなかったので、基本的には「常連の学生」の立場ですが、当時オークが輸入していたAppleIIのゲームなどを1個貰って「これのマニュアルを日本語に訳して」というのを引き受けて一週間くらいで翻訳を渡したものを、オークが販売するゲームにコピー冊子を添付しておりました。100本くらいはやったかなぁ。

当時オークでAppleIIやMacintoshのゲームを買ったひとは、たいていぼくの訳したマニュアルを読んでいる筈です…。

自分の年齢的には、自分が大学生になった1984年頃~からの筈です。就職した1989年からもしばらくやっていたと思います。たしか。

その関係で、当時のオークの忘年会などには呼ばれていたとか、そういう立ち位置。

これから述べる自分が見たマーズの話も、実はいまも秋葉原で営業しているオーク(いまはゲームでなく3Dソフトを扱っているようです)の店長にインタビューすればより詳しい話は聞けるかもしれませんが、それほどの価値もないと思いますし、何より店長としては思い出したくもない話でしょう(笑)。
今のオークでは自分が買えるものがないので10年以上店舗を覗いていないと思うけど、店長、元気かな…。

また当時、オークでバイトしてレジにも入っていた野田さ…ペンネーム掌田津耶乃さん(今もテクニカルライターとして活躍中のようです)ならもう少し話も聞けるかもしれませんが、まあ、そこまでする価値ある話でもないですね。

 

マーズ登場

ここからはだいたい「さわやかインターネット」に書いてある話です。

細かい日時に記憶はありませんが、当時、大橋ビルの2階202号室で普通に営業していたオークの向かいの204号室に、コピーショップであるマーズ・マーケティング・カンパニーが店を出しました。エレベーター前の狭い廊下を挟んで、店を出た向かいの位置です。

当時オークが入っていた現在の202号室。エレベーターを2階で降りて右手の目の前にあります。当時はドアは開放状態。
同じエレベーターを出た所で、そこから90度左を向くと、マーズがあった204号室が目の前に。

当時のオークは普通に輸入したAppleIIなどのゲームソフトを中心に正規品を販売する店で、1本はせいぜい8千円くらいだったと思います。当時のゲームソフトの価格的にも、5桁円はそんなになかったんじゃないかな、たぶん。

そこで目の前でマーズが、AppleIIなどのゲームのコピー品を1本2千円とかそこらで販売することを始めたわけです。

マーズの登場による当時のオークの売り上げの具体的な金銭的なダメージは、オークの経営にはかかわらなかった自分には不明なんですけど、とりあえず学生などが、AppleIIの新作ゲームソフトをオークでチェックするなり、オークを出たその足で向かいのマーズに入るというモラルのかけらもないことをやらかすヤツラが続出。

 

オークが6階に移転

もちろん皆さまご存じのように、当時はソフマップですら「パソコンソフトレンタル」業をやって成長した時代で「ソフトをコピーして遊ぶのは当然」な時代だったわけなのですが、AppleIIに関しては、たぶん国内流通の関係だと思うのですが、CopyII+というUSAのAppleIIコピーソフトは普通に買えましたけど、あまり堂々とコピー品が店頭で売られているようなことはなかったと思います。これまでは。

とはいうものの、僕がAppleIIを知るきっかけを与えてくれた自分の兄(4歳年上)も、さすがにWizardryやUltimaのクラスのソフトは正規品を購入していましたが随分とAppleIIのコピーソフトを持っていたようでしたし(兄の不在時に兄の部屋でこっそり遊びまくった当時の自分)、友人間コピーやら、どこかで流通はしていたのでしょう…。
そもそもAppleII+やAppleIIeの本体自体が「50万円もする正規品は買えなかったので10万円のコピーコンパチ機」で皆が遊んでいた時代でした。

そのような当時の状態でオークの向かいに登場したのがマーズ。別に自分の店にゲームソフトを買いにくる客が清廉潔白だとは誰も思わなかったにしても、さすがに目の前で買わないヤツらにそんなことをされるのは、金銭的ダメージよりも店長のメンタルに重大なダメージを与えたことは容易に想像できます。

そしてオークは、同じ大橋ビルの6階に引っ越して営業を続けました。

基本的にはこれでオークからマーズの存在は視界から消えたのですが、当時、6階で自分もたむろしていた時に、オークに謎の台湾人?が来訪して「マーさんのお店はココですか?」(日本語)とレジの店長に訪ねてきたエピソードあり。

このエピソード、「さわやかインターネット」にも載っていましたが、たぶん当時の自分が割とつるんでいたビット・システム・サービス(2017年に江東区に引っ越したらしいのをいま知りました)店員のY君に話したのがたぶんどこか経由で黒沢氏に伝わったんだと思います。あるいは自分が昔のMac同人誌に書いたヤツ経由かな…。

まあ、6階のオークで新作ソフトをチェックしてからエレベーターを2階で降りてマーズで買い物をしていた客の存在も容易に想像できる所ですが、ともあれ、とりあえずオークはマーズの存在を無視して普通に営業を続けました。

 

マーズに警察が入る

ここからは僕が関わっていないまた聞きの話なので簡単に述べますが、黒沢氏の「さわやかインターネット」や、当時はマーズのバイトをしていたらしいミスターPBX氏から聞いた話として、真っ黒なマーズにも日本の警察が入ることになりました。当時の新聞やテレビで報道もされましたね。

ミスターPBX氏によれば、AppleIIのソフトのコピー販売はどうでもよくて、IBM-PCのソフトのコピー販売をやったのが命取りだったらしい…とオフ会で聞きました。

基本的にはオーク側からはもう視界にない話なので、僕も新聞記事で読んだだけで(当時のTVニュースの録画がもしかしたらあるかも)、特にオークで祝杯をあげるとかいう話はなかったようです。その時に僕が居なかっただけかもしれませんが。

 

マーズが潰れる

そんなわけで、正確な日時は不明ですが、さすがに営業が続けられなくなったマーズは、後日、潰れることになりました。

その後のマーズというか馬宝慶の消息については、クーロン黒沢氏に伺うのが一番良さそうです。オフ会での黒沢氏によれば「去年、台湾で接触した」「私は無罪だ」と主張しているらしいとか、まあ、いろいろと。まあ「日本にはもう入国できない」ようなんですけどね…。

正確な日時は不明なのですが、マーズが潰れたあとで、いつものようにオークに遊びに行く際に、大橋ビルを入って入口左の「テナント一覧」からマーズの金属の看板が外されて、その近くの床に捨てられていたのを目撃しました。

当時と同じものか不明ですが、こんな感じでテナント一覧が金属のプレートにはまっており、マーズもオークと並んで…。

それでその場を去って、それから後日、そこからもその看板は消えていましたが(まあ廃棄物になったのでしょう)、あそこで知らん顔してそのマーズの看板を拾って持ち帰っていれば、昨日のオフ会でも自慢できた特級呪物になったのになぁと思うと、ちょっとだけ当時の自分の度胸のなさを30年以上たった今も後悔しています。人生で5本の指に入る「後悔ポイント」だったかもしれません。

(おしまい)


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