袁紹、廬江で孫権の主力を撃退して天下を伺い、漢中は趙雲に任せるの巻

馬騰が劉璝に一騎打ちで負ける

許褚を倒した息子には遠く及ばないにしても、劉璝ごときにいったい何をやっているのか馬騰。その劉璝はドヤ顔で一瞬士気を回復したものの結局は潰されて捕縛。漢中侵攻軍の消滅。やれやれ。蜀くんだりからなど来なきゃいいのに。いずれこちらから攻め滅ぼしてやるから。

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江陵には士気横溢な7万の兵が溢れたので、次なる侵攻を行うべく出陣させよう。劉表よりは孫権をさらに追い詰めるべきだろう。そのまま柴桑へ向ける。

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廬江落城

あとは陸遜と甘寧を潰したうえで、廬江を取ればよい。これでもう孫権の力は大幅に削がれたはずだ。よし甘寧は捕縛した。お前がすぐに寝返るヤツだというのは貂蝉知ってる(前世の記憶)。これで間もなく廬江は落ちよう。

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む、漢中に賊が。屁みたいなものだが、劉璋の工作か。

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今度はやすやすと廬江が落ちたので、兵をまとめてこちらも柴桑攻めに向けることにする。

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顔良病死

やすやすと江夏が落ちたのはいいが、何の前触れもなく顔良が死んだ…だと? 国葬にすることに。

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柴桑攻めの開始

廬江にはまだ兵糧が十分ではなかったので、まだ1万の兵を持っている魏延と文醜は廬江には入れずに(入れると以後は廬江の兵糧を消費することになるので)、そのまま柴桑に向ける。同時に廬江には寿春から10万の糧食の輸送を開始。

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江夏からも夏候惇と曹仁を柴桑攻めに出す。見たところ主力を廬江で壊滅させた孫権にはもう碌な戦力は残っていないようだったので、劉表よりまずは孫権を潰して江南を支配してしまったほうが早そうだ。

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袁紹が襄陽に移動する。そろそろ宛と許昌も袁煕に委任させてもよかろう。

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漢中を趙雲に委任する

漢中を落とせるわけでもないのにわざわざ蜀からちょっかいを出しにくる劉璋マジうぜぇんですけど。まだまだ蜀には攻め込めないし、あんな遠くの部隊を提案を容れてわざわざ金をかけて妨害しても何にもならんし、そもそも提案自体いらないし、どうしたものか…と思っていて閃いた。そうだ漢中を委任させよう。そうすればいちいちこちらに確認を求めには来ない筈だ。

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さっそく漢中を第4軍にして趙雲に任せてみることにした。そのままだと白水関に突撃してしまうだろうから委任方針として「拠点攻撃」を指定して梓潼を指定する。さて、これでどうなるかな。

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これまで血を分けた息子以外には委任などさせなかったこの袁紹が委任するのだ。これはそれほど趙雲、お前を信用しているということだ(ものはいいよう)。別に本気で蜀に攻め込まなくてもいいので大過なく勤めるように。

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よし、これで漢中に関する提案が出なくなった。よもや漢中を落とされることもあるまいから、当面はこのままでいいや。実際、最大で5つしかない提案枠(左上は地方都市案件で固定)がこれで毎回2つも3つも奪われるのは結構ダメージでもあるのだよ。

建業攻めも開始

江夏から夏候惇と曹仁を柴桑攻めに出したのはいいが、江夏の糧食が尽きそうだ。近いうちに商人が来てくれなければ夏候惇らは引き返す羽目になるかもしれんが、最悪、それでも落とせると思う3方から柴桑を目指す余裕の布陣。

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結果的にはその次のターンに江夏に商人が来たので、兵糧5万を買い付ける。これで夏候惇らも元気いっぱいで戦えるだろう。秦帝ともあろうものが商人が来るか来ないかの運任せで政策を決めるのもどうかと思うが。洛陽や長安にも商人が常時いなかったの、ショックだったよなぁ。あるいは都市の「規模」の関係かもしれないが。
それはそれとして、広陵から建業に沮授・韓遂・徐晃(逃亡から帰還して怪我も回復済)の4万の兵を出す。徐晃に大軍を持たせるために改めて昇進させた際に車騎将軍が空位だったのを見て、病没した顔良のことを思い出してしんみりする。

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柴桑攻めの兵はもう十分だと思われたので、廬江からさらに4万を建業方向に出す。もはや廬江が脅かされることもあるまい。堂々たる我が軍。

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そしてとうとう長安も袁煕の第2軍に任せることにした。しかしなぜ長安に同じく接している袁譚の第3軍には任せるという選択ができないのだろう。システム上の都合か不具合でなければ、やはり袁譚の無能さに起因しているのだろうか。

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(つづく)


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